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- 2014.10.24
- 二回目のオリンピック
◆二回目の東京オリンピックだ・・・
今回はオリンピックの話である。東京オリンピックは6年後の2020年に東京で開催されるが、皆さんご存知のようにいまから50年前にも東京でオリンピックが開催された。もはや戦後ではないと言われて久しく時は経っていたが、私の住む北海道の開拓村は未だオリンピックの好景気には見放され、相変わらず貧しかったのを覚えている。当時、我が村では麦と白米を混ぜて炊くことは珍しくはなかった。我が家も御多分に漏れず白米が隠れるほど麦が入っていた。大量に麦が入ると飯の色が灰色になりパサパサとなって食味も随分と落ちたものになる。今でこそ健康食品ともてはやされているが昔は貧乏家の代名詞のようなもので、ご飯の釜の中が白米だけの家と麦を入れている家では暮らしぶりに大きな差があった。ただ私の家でも正月とか盆とかの特別な日だけは白米のみで炊かれていた。だから真っ白な飯は憧れであった。子供心に白米を毎日食べられる生活は将来手に入れるべき大きな夢のひとつであった。・・・ただ幸いなことに両親の努力もあってこの夢は小学校6年生で日の目を見た。
◆テレビが見られる・・・
こんな時に東京オリンピックが開催された。私が小学校4年生の時である。先生たちも生徒の人生の中でオリンピックが日本の東京で開催されることは二度と無いと判断してのことか、授業中にオリンピック中継を見る時間を作ってくれた。
記憶に残っているのは映像の内容よりも、授業を受けずにテレビが見られるという喜びの方が大きかった。
当時我が家には電気が来ていなかったこともあり、テレビなんてものはあろうはずもなく学校で見るブラウン管テレビが初めてのテレビとの出会いである。学校に設置されているテレビも職員室においてあり、大事なテレビの前側には刺繍をほどこした厚手の布が仰々しく掛けられていた。
今考えるとこのオリンピックがやはり大きな節目だった。後々の村の発展を振り返るとオリンピックを境に急速に発展していった感がある。前述の白米飯や砂利道路、交通機関もバイク、自動車の台数にしても全てがものすごいスピードで変化していった。
今では規模の大きさや変化のスピードで未だ都市とは差があるものの、商品や基本的サービスという面では都市も地方もあまり大きな差を感じなくなってきている。
◆しかし・・・
一方では失ったものも多い。小魚やホタルがいたきれいな川であり、動植物が群れた森であり、地域や隣り近所の連帯である。この50年の変化をなんと表わしたら良いのだろう。私の祖父母が暮らした時代の面影は全くと言っていいほど無くなっている。二人が故郷の今を見たら別の世界に来たと思うに違いない。二人が亡くなる2年前に生まれた私自身が半世紀の変化に驚愕しているのだから・・・
たった50年されど50年である。半世紀は人の一生の中では長い時間であるが過ぎ去るとあっという間である。オリンピックからの50年はまさに疾風のごとき速さで変化した。
◆果たしてこれが幸せにつながるのか・・・
何事も急くと付けが回るものである。余りに早い変化は歪を生むことになる。ニートという言葉も精神疾患も、おれおれ詐欺もこの変化と無縁ではないと思う。利便性の向上とか国境のボーダレス化とか、快適さとスピードを求めた変化は欲求が喚起され需要があるから実現したものではあるものの、はて「そんなに急いで何処へいくの」である。まして過当競争の結果、持てる者と持たざる者の格差は拡大しているという。
◆ゆりかごの寿命は億年単位・・・
地球上の生物の寿命環境は太陽の影響で5億年程度と言われているらしい。地上に現在のホモ・サピエンスが誕生して10万年程度、地球はまだ5億年位は生物を育む環境が保たれると言われている。ゆりかごの寿命は有り余るほどあるのに競い合って環境を悪化させている。自分で自分の首を絞めるという言葉があるがピッタリ当てはまる言い方である。
昔は良かったと言われる時代が来ないように、ゆっくり歩くことに慣れる必要もあると思うのだが・・・・
まぁいずれ遠からず決断を求められる日がくるに違いない。
バトンを引き継ぐ将来の世代に批判を受けない選択をしたいものである。
JP共済生協 常務理事 佐々木 貢